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自杀理论。
我相信你们很多人都读过寺山修二的[文]总结文章。
三岛由纪夫的自杀看似是在号召反日[章]革命,但实际上是一场切腹自杀,为[来]了让他的自杀蓬勃发展,牵涉到许多[自]极右圈子的年轻人。甚至有一丝政变[i]的味道。但这显然只是自杀。即使是[a]喜爱三岛文学的人(我也是其中之一[m]),对这种死亡方式也没有多少敬佩[k]之情。
藤村美佐绪是华严瀑布著名的自杀受[.]害者。
根据寺山的说法,他雕刻的“Gon[c]to no Kan”是纯粹自杀的证据。
我也是这么想的。
他逐渐自杀。
确实存在一个智能世界,死亡并不是[n]终结,这就是人类为下一代而活的原[恐]因。另一方面,你甚至可以为了下一[怖]代而死。
即使寺山被诊断出患有癌症,他仍继[鬼]续与谷川俊太郎交换视频信件。一个[故]对死亡思考了这么久的诗人,面对死[事]亡创作出幽默的视频信,这并不奇怪[文],但如果你看看他拍的电影,就不足[章]为奇了。
继续凝视死亡成为表达生命的一种幽[来]默方式。
有时,当我和朋友喝酒时,我们会去[自]歌舞伎町。
每次经过新宿站南口的天桥,我都会[i]想起那里有人自焚的事件。还有一个[a]年轻人在那座桥上上吊自杀了。尸体[m]在那个热闹的地方已经挂了很长一段[k]时间了。虽然是这样的地方,但我们[.]走过去还是很自然的。
例如,在歌舞伎町,一番街内的一座[c]建筑物发生火灾,造成 40 多人死亡。原来的建筑已经拆除,现[n]在换上了新的,但位置还是一模一样[恐]的。
但没有人关心这一点。
我在第三街喝酒的时候,金街很热闹[怖]。
我不知道事情就发生在我眼前,我只[鬼]对烤鸡肉串和啤酒感兴趣。
太宰治有一句话叫做“觉明”。
一滴仅由几十个字符和平假名组成的[故]单词。
他写的是人们即使想改变也无法改变[事]。
当你不再想改变的时候,你终于找到[文]了下一种生活方式。
尽管他知道这一点,但“下一次”从[章]未到来。
我离太宰治去世的年纪越来越近了。[来]
我想活下去,并且我正在为此付出很[自]多努力。
但不知为何,我只听到死者的声音。[i]
我想在这里写的是“脑死亡”和实际[a]死亡之间的关系。
如果有人知道什么,我想知道。
我曾经看过一个视频,一个人的头被[m]步枪打掉了,他的上半个头撞到墙上[k]的那一刻,他全身的力气(貌似)消[.]失了。他靠着回到他的椅子上。不过[c]看样子,小脑似乎并没有受到损伤。[n]
如果连接脊髓的小脑没有受损,即使[恐]额叶和海马体消失,意识和身体能力[怖]消失,也可能会有疼痛感。换句话说[鬼],即使死亡是瞬间发生的,或者心脏[故]已经停止跳动,大脑在一定时间内对[事]身体疼痛的反应不是还活着吗?
如果我真的可以毫无痛苦地死去,并[文]且没有意识到,我希望如此。
根本没有自杀倾向。我一直在想,我[章]想活下去。
不过,我也觉得,如果能死得不痛苦[来],也挺好的。
在游览所谓的“粗俗场所”时,你可[自]以看到各种各样的视频,但有很多人[i]被枪射中头部的例子。大多数情况下[a]都是瞬间崩溃,被形容为瞬间死亡,[m]但事实真的是这样吗?
这个复杂的大脑(其中电信号在神经[k]元中相互交叉)不可能因为某一部分[.]的缺陷而停止运作。
所谓人的意识和思想必须被子弹消灭[c],但真的是“瞬间死亡”吗?
此外,人类不仅仅用大脑思考。
大脑只是一个信息处理器官,体内有[n]超过60万亿个细胞充当受体。单独[恐]来看,这些细胞甚至出现凋亡。
肠子在肠子里,肱肌在肠子里。意识驻留在细胞中,虽然我们通常认为痛苦和痛苦是由人类意识控制的,但实际上,自我不可能统一“自我”。
作者:肩コリ酷太郎
原文:自殺論
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自殺論。
寺山修司が短いエッセイでひと纏め[怖]に書いているのをお読みの方も多い[鬼]筈だ。
三島由紀夫の自殺は、日本国への革[故]命を求めていたようでいてじつは、[事]ただ自死に華を咲かせるためだけに[文]多くの若者を極右的に巻き込んだ切[章]腹だった。クーデターの香りさえあ[来]った。けれど、あれは明確に単なる[自]自殺だ。三島文学を愛する人でさえ[i](私もそのひとりだが)、あの死に[a]方にはさほど憧れない。
藤村操は華厳の滝で有名な自殺者だ[m]。
彼が刻んだ『厳頭之感』は、寺山に[k]よると純粋自殺の証明なのだ。
私も同様に思う。
彼は漸進的な自殺をしたのだ。
死んで終わり、では無い、という知[.]性の世界が確かにあって、だからこ[c]そ人間は次世代のために生きている[n]。逆に言うと、次世代のために死ぬ[恐]ことさえ出来る。
寺山はガンに冒されてからも谷川俊[怖]太郎とのビデオレターの交換を続け[鬼]ていた。死について見つめ続けてい[故]た詩人が、その死に臨んではユーモ[事]アのあるビデオレターを作っていた[文]というのは、けれど、彼の創った映[章]画を観ればさほど意外でもない。
死を見つめ続けると、命を表現する[来]にはユーモラスになる。
たまに友人と酒を飲むと、歌舞伎町[自]に繰り出すこともあった。
新宿駅南口の陸橋を通るたびに、そ[i]こで焼身自殺をした人がいた、とい[a]う事件を思い出していた。他にもあ[m]の橋では、首吊りをした若い男性も[k]いた。わりと長い時間、その死体は[.]あの交通量の多いところでぶら下が[c]っていた。そんな場所ではあるけれ[n]ど、私達はごく当たり前にそこを歩[恐]いている。
歌舞伎町ではたとえば、一番街に入[怖]ってすぐのビルで40人以上が亡く[鬼]なった火災があった。当時の建物は[故]取り壊されて、今では新しくなって[事]いるけれど、立地はまったく同じ場[文]所。
けれどそんなことは、誰も気にしな[章]い。
3丁目で飲んでいたらゴールデン街[来]がわりと燃えていたこともある。
目と鼻の先で事件が起こっていたのを知らず、焼き鳥とビールにしか興味が無かった。
太宰治の小さな文章に『かくめい』[自]というのがある。
ほんの数十文字の、しかもひらがな[i]だけで創られたひとしずくの言葉。[a]
彼が書いていたのは、人間は変わろ[m]うと思っていても変わることは出来[k]ないということ。
変わろうと思わなくなった時によう[.]やく次の生き方が出来ている。
それを知っていながら彼には、その[c]“次”が来なかった。
太宰が死んだ年齢に、私もだんだん[n]と近づいている。
生きていたいと思っているし、その[恐]ためにたくさんの努力もしている。[怖]
けれど どういうわけか、死者の声ばかりが[鬼]聞こえる。
ここで書きたいのは「脳死と実際の[故]死」の関係だ。
もし何か御存知の方がいれば教えて[事]いただきたいとも思う。
ライフルで頭を吹き飛ばした男性の[文]映像を見たことがあるのだけれど、[章]頭の上半分が壁に飛び散った瞬間に[来]、全身の筋力が(見た感じでは)抜[自]けて椅子にもたれていた。ただ、そ[i]れを見る限りどうやら小脳までは破[a]損されていないように見えた。
脊髄に繋がる小脳が破損していない[m]場合、前頭葉や海馬が消えて意識や[k]身体能力が消えたとしても、痛覚な[.]どはあるのではないか。つまり、見[c]た目としては即死でも、心臓が止ま[n]っていたとしても、ある程度の時間[恐]は肉体の痛みに反応する「脳が生き[怖]ている」のではないか?
私は、もし本当に一切の苦痛なく気[鬼]づかない間に死ねるなら、それを望[故]んでいる。
自殺願望ではまったく無い。生きて[事]いたいとずっと思い続けている。
けれど、苦しまずに死ねたらそれは[文]それでお得だとも感じている。
いわゆる“グロサイト”を巡ってい[章]ると様々な映像を見ることが出来る[来]けれど、銃で頭部を撃つ瞬間はたく[自]さんの例がある。たいていの場合は[i]一瞬で倒れ込むし、それは即死と表[a]現される、けれど、本当にそうなの[m]だろうか?
電気信号がニューロンで交錯してい[k]るこの複雑な脳というものが、ほん[.]の一部の欠損くらいでその活動を止[c]めるはずが無い。
いわゆる人間としての意識、思想、[n]それは銃弾で消し飛ぶに違いないけ[恐]れど、果たしてそれは「即死」なの[怖]か?
さらに言うならば、人間は脳だけで[鬼]考えているわけではない。
あくまで情報処理の機関としての脳[故]であって、受容体としての細胞は全[事]身で60兆個を超える。これらの細[文]胞は個々で判断してアポトーシスさ[章]えしている。
腸には腸の、上腕筋にはそれの意識が細胞にあって、普段は人間の意識によって痛み苦しみを統率しているつもりでも、実際には「自分」なんて自我が「自身」を統一する、そんなことは不可能だ。
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